審神者と巫。

2020/4/13

 
とても懐かしい人と再会することが出来たので、徒然と投稿しようと思います。

本日は、かなり内輪話に偏りそうなので先にお知らせしておきます笑
テーマは、
『審神者(さにわ)と巫(かんなぎ)』

と言うのは、再会したのはきーちゃんにとっても懐かしい人で、きーちゃんの師の一人であるおばあちゃまの元に居たおばあちゃまのお弟子さん。
まだまだお元氣ではいらっしゃるけど、ご自身で動ける間に関西へ帰って思い出の地を回ろうと言うことでうちの旦那がご案内を買って出て再会することになったわけです。

タイミング的には、多少のフェイクも交えつつの思い出話的なStoryを書いてる最中にお話を聞けたら、私自身も理解しきれてなかった部分をカバー出来てたのに!と思うけど、その辺りの話を今聞いたのもきっとベストなタイミングだったんだろう。

その再会と今日のテーマ「審神者と巫」がどう繋がるのか。
きーちゃんこと雨龍キリヱの肩書きを付けるにあたって「巫師(かんなぎし)」が良いのではないか?と提案したら採用されまして、きーちゃんは「巫師」と名乗ることになりました。

かつても、きーちゃんは「シャーマン」的な事をやっていて「自分達が意識的に感知出来ない領域」とコンタクトを取ることに長けていた。と言うのは当時きーちゃんのもう一人の師の真ちゃんからふわっと聞いていたから、こうやって一緒に活動するよりも前から知っていたんだけど当時この手の知識はほとんど持ち合わせて無かったため想像を超える世界でそれはまさに「あなたの知らない世界」状態。

当時、知っていたらもう少し何か出来たんじゃないかな。とも思うけど、そこは今更な話。
今、私に出来る事をするだけだからね。


その辺りの事をチラッと聞くことが出来たから備忘録的に認めて(したためて)おこうと思うわけなのです。
完全版には載せましたが最初Storyの方では、話が空中戦になり過ぎるからだいぶカットした部分です。

当時まだまだ少女だったきーちゃんが、本格的にこの見えない世界と繋いでいくお仕事を始めたのは義務教育が終わった頃。
義務教育の間は、おばあちゃまにお呼ばれして色々と教えてもらっていたようだけど、まだ自分の持つものを使うというよりは生きていく為の基礎的な知識なんかを教えて貰ってたらしい。

同じく最初Storyでカットした部分に(これは空中戦というよりも、エピソードを入れたら色々と話が盛りだくさんになり過ぎる為カット)きーちゃん初めてタロットカードを手に入れる。と言うものがありました。

アキちゃんのお土産は、当時から魔法だとか言った世界が大好きで身近だったきーちゃんの為に不思議なものばかりで、私たちは「よくそんな怪しいものばっかり…」なんて思ってました。
けど、きーちゃんはとっても喜んでいたわけで、今思うとアキちゃんなりにきーちゃんのことを可愛がってたんだろうなとしみじみ思う。




アキちゃんのお土産のタロットカードは、本場(?)英国のノーマルなライダー版タロット。
英国仕様なものだから、デッキに付いている簡単な解説書も勿論英語で書かれているわけで。
中学生きーちゃん(画像真ん中が当時のきーちゃんのイメージ笑)は頑張って辞書を引きつつカードを引いているんだけど、文字が苦手なきーちゃんは辞書と格闘して熱を出す。というオチ。
アキちゃんが訳してくれたら良いんだけど、タロットを渡してすぐにまた飛び立って行ったため戦力にならず、私たちも恥ずかしながらふんわりと書いてあることは分かるけどちゃんと読めないし…で、きーちゃんのタロットカードデビューは結構なハードモードからスタート。
真ちゃんが仕事から帰ってきて夕食の後解説書を辞書引きながら訳す。をしていたけどタロットは78枚。
全部訳すまでに相当な時間がかかります。
真ちゃんが解説書を訳す作業中、きーちゃんはカードの絵柄を見て何かを感じ取っていたみたいで、カードに描かれている人物像だったり、場面だったりをメモ。
きーちゃん曰く「最初から解説書に頼ってたらきっとカードからここまでインスピレーションを受け取れなかった」そうです。

怪我の功名?
今思えば、直感が鍛えられたんだろうね。

最初は解説書の初めから丁寧に訳してた真ちゃんだったけど、多分心が折れて「まずカードの並べ方から行こう!」そして「出たカードを一つづつ訳す」方針に転換。
初めてきーちゃんがやったのは「ケルト十字スプレッド」
簡単な一枚引きとか三枚引きとかにしたら良かったのにね。

そんなこんなで、きーちゃんのタロット人生スタート。
とっても氣に入ったみたいでいつも持ち歩いていました。
流石に寝る時にカードを枕の下に置いていたと聞いてびっくりしたけど。
当時のきーちゃん曰く「寝る時に枕の下に置いたら面白い夢を見るねん♪」らしいです。


当時も勿論タロットの解説書は日本語バージョンが本屋さんに売っていたけど、そんなものがあるなんて頭に無いから英語版の最初に付いている解説書に沿って引いていたきーちゃん。
けど、真ちゃんが仕事から帰ってから一緒にやってもらうことにやっぱり遠慮があったみたいで、わりかし早いうちから自分でこう並べたらこう!というフリースタイルな展開法でタロットと親しんでいきました。
その頃はまだまだ占い師としてデビューしていないから、占うのは自分の事だったり私の事だったり旦那だったり。
「きーちゃん、占う時なんか別人じゃね?」とかなりこういった類の物に疎い我が旦那でもツッコミを入れる程、何だか別人になるきーちゃん。
この時は「ホンマやなー」と流していたのですが、今思えばこれこそ「自分の感知出来ない領域から言葉を降ろす」ってことだよね。
なんだろ、憑依型?
この辺りが名乗るならシャーマン的な意味合いで巫師が良いんじゃない?と言ってみた所以です。

その頃から巫師の片鱗を見せたきーちゃん。
「なんか、勝手に言葉が出て来るからそのまま喋ってるけど、何を話したかあんまり覚えてへんねん(´・ω・`)」と言っていたのが印象的で未だによく覚えてます。
何を話したか覚えてないってのも、トランスに入って「言葉を降ろす」ことをしていたからだろうね。
その時は「覚えてないのダメじゃん」ってツッコミを入れてしまったけど。

タロットカードを手に入れたきーちゃんはどんどんカードと馴れ親しみ、カードと対話するから余計に見えない領域をキャッチするアンテナが発達してしまったために余計に日常がハードモードと化してしまったから良かったのか悪かったのか。
これは、未だにあの時にカードから一旦距離を置きな!と言って離してアンテナの感度を落としておいた方が良かったのかも。ときーちゃんの色々と辛そうな所を見ると思ったりすることも実はある。
そうすれば要らない苦労はマシになってもう少し生きやすかったのかな?と。

結果、今こうやって自分らしく(この言葉を使うとスピリチュアルくさくなるから余り使いたくないんだけど)楽しく生きてる様子を見ると、言わないで良かったと安堵したりも実はある。

どっちが良かったのか。
これは、きーちゃんしかジャッジ出来ないからね。
そして、そのきーちゃんはそれを経て今があるから結果オーライ♪と言っているから、やっぱり全ては繋がって最善の結果になるんだろう。

そんなこんなで、きーちゃんは見えない領域とコンタクトを取る方法をゲットしたおかげなのか、実際それを生業とする家でその一員として力を発揮していました。

そこで、本日のテーマである「審神者と巫」
(前置き長いってば。と自分にツッコミ)
審神者とは、神さまの言葉を判別する人。
巫(かんなぎ)とは、神さまに仕え祈り、その言葉を降ろす人。

きーちゃんはそのまま今と同じ巫。真ちゃんはその審神者。という理解で良いとのこと。
ずっと、きーちゃん達の仕事って「正味どういうこと?」と謎だったわけですが、およそ二十年たってようやく判明したわけです。

審神者を失ったきーちゃん。
一時期はこの世界とは真逆の道を歩いて行くことになっていたのは仕方ないことだったんだな。と思いつつも、それでもやっぱり巫師として生きることになったのは、きーちゃんはこの道この世界で居るのがきーちゃんのお役目なんだろうな。
あれからたくさんの色々な経験を積んで審神者が居なくても伝える力も付いてきたし、きちんと自分の足で立って歩いて今世を生きていくことが出来るように成長したのは、自称姉であり母であり一番の親友の私はとっても嬉しい。

昔、真ちゃんがきーちゃんはずっと神さまに近い場所に居る人だった。と言っていた。
そして、この現代、社会的にそのポジションに居ることはとっても生きづらいことで、だから真ちゃんは少しでもきーちゃんが在るべき姿でいられるように出来ることをしようと思ってると話していた。
私が審神者となることも真ちゃんの代わりになることも出来ないとはきちんと自覚している。
けど、きーちゃんが少しでも在るべき姿でいられるように出来ることをしたいと思うのは真ちゃんと一緒だしそれが私のお役目なんだと今でも信じてるからこうやって未だに世話をやいて一緒に活動してる。
おばあちゃまも「きーちゃんが自分の力を理解して使いこなせるようになればその大きなお役目を果たすことが出来るようになる」と言っていたそう。
きーちゃんのお役目って何だろうと当時は全く想像が付かなかったけど、それは見えない世界と現世を繋ぐことだけでなくて、今までの世界と新しい世界とを繋ぐことなんだろうと思う。
だからこそ、ニュータイプとして一足先に生まれて生粋のニュータイプな娘ちゃんたちを育てることになっているんだろう。(旦那さんも紛うことなくニュータイプだし。笑)
ただニュータイプ一人では上手に既存の世界を生きることはとてもとても難儀なのでサポートする為に私たちと出会ったんだろうと思う。

だからと言って、うちの妹を崇め奉って信者となれ!と言っているわけでなくて。笑
雨龍魔法雑貨店は、店主は魔女として自分の信仰をもって居りますが、いかなる宗教団体に属して居りませんし、宗教勧誘は行いません、そして基本、他の信仰を否定することはありませんからご安心を。笑

そんなきーちゃん、昔「新興宗教のお飾り教祖さまになりたい」と冗談を言っていて、おばあちゃまに教祖さまになったら氣軽にマクドもスガキヤも行けへんで。と笑われたら「じゃあやめる」とアッサリ諦めたことがあったなと書いてて思い出した。
ファストフードやカラオケやライブに氣軽に行けなくなるのは嫌だったらしい。笑

とりとめなく、かなり長文となってしまいました。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。

本日の参考はこちら↓↓↓

審神者 (さにわ)とは、古代の神道の祭祀において神託を受け、神意を解釈して伝える者のことである。後には祭祀の際に琴を弾く者を指すようにもなった。
引用元:ウィキペディア 審神者

巫(ふ、かんなぎ)は、巫覡(ふげき)とも言い、神を祀り神に仕え、神意を世俗の人々に伝えることを役割とする人々を指す。女性は「巫」、男性の場合は「覡」、「祝」と云った。「神和(かんな)ぎ」の意。 シャーマニズムによるシベリア、アメリカ原住民、アフリカなどにみられるシャーマンも同様である。 自らの身に「神おろし」をして神の言葉(神託)を伝える役目の人物を指すことが通例である。古代の神官は、ほぼ巫と同じ存在であった。祭政不分の社会であれば、彼らが告げる神託は、国の意思を左右する権威を持った。
引用元:ウィキペディア 巫