Story 40.体験。

家の前に車が止まった。そして、きーちゃんの声が聞こえた。「あれ?帰ってくるの早くない?」今日は電車で帰ってくる予定だったのに、予定より1時間早い。「ただいまー」やっぱりきーちゃんだった。そして、きーちゃんの後ろからアキちゃんも登場。この間帰ってきたから、また来月辺りまで帰って来ないんじゃないかと思ってたから驚いた。「兄ちゃんが迎えに来てくれたよ」とニコニコきーちゃん。やっぱりアキちゃんが居ると嬉しそう。
珍しく6人での夕食。けど、アキちゃんがまた何かしらを言い出さないか内心ヒヤヒヤしていた。「もうちょい帰ってくる頻度増やそうか思ってな。こっちでの仕事増えたし」今回の帰宅が前からそんなに時間が経っていなかったから、珍しいね。なんて言ってみたら、こう返ってきた。こっちでの仕事が増えた。と言ったけど、きーちゃんの様子を見るためなんじゃないかと思った。それは旦那も感じたようで、食後、きーちゃんが入浴中にアキちゃんに尋ねていた。「さすが美樹やな。あたり!」と笑うアキちゃん。「あとパスポート用意させようと思ってな」「は??何で?」「冬休み、一回連れてこうと思って」「ダメだよ!冬休みって受験前やんか!渡航してる場合じゃない!」「受験せんかもしれんやん。せんでええわ」「アキちゃんが決めることじゃない!」「キリコが決めることでもないやろ」そうなんだけど…。「喧嘩してるん?また私、何かしちゃってた?」お風呂から上がったきーちゃんが不安そうにのぞいていた。「きーちゃんは何もしてへんで。髪乾かさないと風邪ひくで。ドライヤー取っといで」と旦那がフォローしてくれた。きーちゃんの髪を乾かしながらアキちゃんが冬休みに一度連れて行きたいと言ったことを話すときーちゃんは複雑な表情を浮かべた。「行きたくないなら言って良いんだよ」と言うけどやっぱり複雑な表情。「はじめてやし、言葉も通じへんしで不安かもしれんけど大丈夫やから。一度見ておけばどんな所か分かるやろ。行ってみて無理やと言えば諦める」きーちゃんは小さく頷いた。
アキちゃんは冬休みにと言っていたけれど、調整がきかず9月の末、1週間の日程で行くことに決まった。旦那達がご両親に連絡を取って渡航の許可と準備をしてくれた。行程を聞くと、目的地まで直行便がない上にかなりの距離だからかなり不安。きーちゃんのご両親と会ってきた旦那はかなり複雑な表情をしていた。「何やろ、あそこまで無関心になれるんやろか」と言っていたのが印象的だった。そして、「無関心やからこそこんなことが出来るから逆に良かったんかもしれんけどな」とも言っていた。

「いってきます」約束の9月。ご両親が学校に連絡してくれたおかげで学校の方も問題なく休むことができた。どうも進路に留学も視野に入れていてその見学だとか言ったらしい。間違ってはないけどね。「絶対アキちゃんから離れたらダメだからね!」「うん、ずっとくっついとくよ」と笑うきーちゃん。「まあ、任せろって」私の心配をよそにきーちゃん達は出かけて行った。

「きーちゃん、向こうが氣に入っちゃったらどうしよう…」
きーちゃんがアキちゃんの住む所へ出かけてからこの不安がどうしても過ぎってしまう。旦那もそれを感じているようで、なんとも言えない表情で「うん」としか返事をしなかった。きーちゃんが向こうが良いと氣に入ったとしたら、そこはきーちゃんにとって居心地の良い場所だったということ。きーちゃんが辛い思いをしなくても良いのならそれが一番だけど、やっぱり「よろしく」と言って手放したくないし、私の勝手な思いだと分かっているけど、これまでの生活はきーちゃんにとって何の救いにもなってなかったと自分の無力さに絶望する。あと数時間もすればきーちゃんは帰ってくる。疲れていると分かってるけど、すぐに返事を聞きたくなってしまうだろう。だから、旦那に私が問い詰めそうなら止めてと念を押しておいた。
夜、マハルを寝かしつけてリビングに降りると同時に車が止まる音がした。きーちゃんだ!急いで玄関を開けると、きーちゃんとアキちゃんが車を見送っていた所だった。車を見送ったきーちゃんが私に氣付いて「ねーさん!ただいま!」と言って荷物を置いたまま私にダイブしてきた。「おかえりー。疲れたでしょ」「ねーさんに会いたかったー」「ここで感動的な再会しなくてええから、荷物持って入っといでや」帰ってきたのに氣付いたであろう、後から来た旦那の呆れた声がした。
長旅で疲れているだろうと思ったけど、どうしても話を聞きたい。「で、どうやった?」旦那が先に尋ねて驚いた。私がソワソワしてるのを察してくれたんだろう。いつもなら少しゆっくりさせてあげろって言うもんね。「んーー」きーちゃんは難しい顔をしてアキちゃんを見た。アキちゃんはきーちゃんの髪をぐしゃぐしゃ撫でると「そんな顔しなや」と笑う。どういうこと?私達に言いづらい?ってことは…。嫌な予感がして、春から向こうに行きたいという言葉を受け止められるように構えた。「4月から…」アキちゃんの声がする。「引き続き頼むわ」
え?
目を開けてきーちゃんの方を向くと、きーちゃんはアキちゃんにしがみつきながらも私達を見ていた。「なんや、やっぱあかんかったんか?」と旦那。「まず初日から『ねーさんに会いたい』言い出してホームシックになったやろ…」あら、嬉しい。「それに…」アキちゃんの顔が強張る。何?どうしたの?「それでも何日かは機嫌良く過ごしとったけど、帰る2、3日前から『真ちゃんのご飯食べたい』やと」思わず笑ってしまった。きーちゃんを見ると照れ臭そうにこっちを見てる。可愛すぎるんだけど。「それやったらお腹空いてる?何か作ろうか」と真ちゃん。頑張っていつも通りの顔してるけど、嬉しいの隠し切れてないよ。真ちゃんはきーちゃんを連れて台所へ。アキちゃんは複雑な表情でそんな2人を見ていた。
「まあ、一回連れてって正解やったわ。ホームシックのこと忘れてた」とアキちゃんが笑う。「正直、こっちは良い思い出ないやろうしホームシックなんてならんやろうとは思ってたけどなー」アキちゃん曰く、昼間は言葉が通じないものの周りの人達と楽しそうにしていたし、何よりこっちで隠さなきゃいけなかった『おかしい』と言われる感覚を隠さずに済んだ。そしてその感覚を興味本位でなく共感とリスペクトを持って尋ねられ、自分が感じるものを楽しそうに話していた。そして、向こうの仲間はきーちゃんの興味を持っているものについて惜しみなく知識を与えていて、それがとても楽しいと言っていたそう。学校での勉強は苦戦しているけど、歴史だとかいった興味を持っているものは進んで学んでいるきーちゃんにとっては良い環境だったんだろう。行程中はほとんどアキちゃんが付きっきりで通訳をかって出ていたし、アキちゃんがどうしても離れなければいけない時は、日本語が話せる子が付いていたからコミュニケーション自体に困ることは無かったよう。アキちゃんと共にきーちゃんに付いていてくれた子は私と同い年の日本の女の子で、きーちゃんを可愛いと氣に入ってたしきーちゃんも懐いていたから、アキちゃんはもう春から来るだろうと思っていたと言った。けど、やっぱり夜になると「ねーさんに会いたい」と言うし、どんどん食が細くなっていて尋ねると「真ちゃんのご飯食べたい」と言ったらしい。
「真弥にメシで負けたー」と笑うアキちゃん。いやいやいや。それ何かおかしいから。どこで張り合ってるのよ。
帰り、きーちゃんと話をしたそう。きーちゃんはとても素敵な所だしここで過ごして色んなことを学びたいと思うと言った。アキちゃんに自分をこうやって呼ぶために準備を整えてくれたことに何度も感謝していると言った。けど、やっぱり自分は私たちとこの家で過ごしたいと言ったそう。同時に、自分がここに居ることで私たちに迷惑をかけていることも分かってると言った。きーちゃんはやっぱり遠慮しているというよりも、まだ自分が居ることに「ごめんなさい」が消えないのかと思うと悲しくなってしまって、ここで過ごしたいと言ってくれたことの嬉しさとで複雑な氣持ちになった。
アキちゃんはまだきーちゃんを呼び寄せることを諦めてはいないけれど、卒業のタイミングで無理やり呼び寄せてもきーちゃんの負担になるだろうからもう少し待つと言った。「ホームシックだけやったら慣れたら大丈夫やろうけどな、きぃの場合、そんな単純なもんちゃうし」強引だし、意味の分からない理論で自分の思う通りに人を振り回すことの方が多いアキちゃんの口からそんな言葉が出るとは思わなかった。「言うたやろ、きぃはその辺に居ていい存在と違うって。それは今も思ってるし、連れて行って然るべき対応をされているのを見て間違ってないと確信したよ。けどな、今焦って連れて行ったとして、きぃにエエことは無いんちゃうかと思ってな」きーちゃんを見ると、ダイニングテーブルについて真ちゃんの作ったオムライスを嬉しそうに食べていた。きっとお土産話をしているんだろう、向かいに座る真ちゃんも嬉しそうにきーちゃんの話に相槌を打っている。「けど、まだ諦めてへんで。絶対きぃを呼ぶ。だから、長期休暇ごとにこっちに呼んで慣れてもらうで」と言って「何事にも戦略ってのが大事やからなー」と笑った。
「ねーさん、私やっぱりここで高校生になってもいい?」布団に入るときーちゃんが言った。ホームシックで私が恋しいと言ってくれたのが嬉しすぎて、私たちの寝室でみんなで寝ようと誘った。きーちゃんは喜んで上に来てくれた。「何で聞くのー。当たり前じゃんー」こう返すと嬉しそうに笑ってくれた。「きーちゃん、高校行くことにしたんや」と旦那。そういや、さっき「高校生になってもいい?」って言ったね。「うーん、行けるかどうか分かんないんだけどね、向こうでね、学校っていうところは辛い方が多いかもしれない。けど、満遍なく色々なことを学べる場でもあるって。知識もそうだし経験もそうだし。知識だけで言ったらその時は興味無くても後からそれが生きてくることもあるし、興味があるものはどんどん学べばいいんだよって言われてん」それをきーちゃんに言ったのは、おばあちゃんとみんなから慕われているご婦人で、きーちゃん曰く「ホンマに魔女!!絶対夜中にホウキで空飛んでるよ。何でも知ってるし、厳しいけど優しくてね、一緒にハーブで軟膏とかティンクチャーとか作ったん。今度ねーさんも一緒に作ろ♪」あ、それはとっても興味ある。本場の魔女直伝レシピとか面白そうね。そのご婦人も滞在中、きーちゃんの側にいていろんな話をしてくれたと言った。「おばあちゃん思い出して会いたくなっちゃった」と笑うきーちゃん。そうだね、きーちゃん、おばあちゃまのことも大好きだもんね。「ここに来るのは大歓迎だけど、それはいつでも出来る。それなら向こうで今しか出来ないことをやってからこっちに来ればいいって。ここに来たければいつでも遊びにくればいいからねって」この渡航は私には不安だったけれど、きーちゃんにとっては良い刺激になって帰ってきたんだと思うと少しホッとした。「それにね…」「ん?どうしたん?」「お食事ね、豪華で美味しいんだけど…真ちゃんのご飯のが美味しいねん。毎日食べるなら真ちゃんのご飯のが良いなーって」これには旦那が大笑い。「育ち盛りには重大な問題やなwww」「みんなで揃って食べるんだけど、やっぱりねーさんや美樹ちゃんたちと食べる方が楽しいし…」嬉しいことを言ってくれるわぁ。「じゃあ、これから毎日真ちゃんにご飯作って貰おう!」と言うと「真ちゃん、絶対えー!嫌やわーって言う」ときーちゃんは笑った。
翌日はみんな揃って休みだったけど、きーちゃんが疲れているだろうから家でゆっくり過ごすことにした。アキちゃんは午前中の間にまた出かけて行ってしまった。アキちゃんを見送る時、きーちゃんは何度も「兄ちゃんありがと」と言っていた。
「美樹ちゃん、あのねー」昼過ぎ、リビングでのんびりしていると、きーちゃんが部屋から出てきて旦那を呼ぶ。「どないしたー?」「本屋さん連れてってー」マハルがお昼寝しているから、氣を遣って私で無く旦那に声をかけたようだ。「ええで。何か買うん?」「問題集?あれちょっと欲しいかなーと思って」向こうで出会ったご婦人のアドバイスを聞いて、きーちゃんは本格的に勉強をしたいと思ったようだ。「多分、全然追いついてないんだけどね、ちょっとでも追いつきたいから」と言った。たしかにきーちゃんの成績表は、出来る科目はずば抜けて良く、追いついていないであろう科目は本当に散々だった。
その後旦那ときーちゃんは出かけて行って、帰宅したのは夜になってからだった。本屋さんに行くだけで何時間かかってるんだ。と思いながらも、車から降りて楽しそうに話す2人の姿を微笑ましく見た。「真ちゃーん、あのね…」晩酌タイム。きーちゃんが部屋から顔を出した。今日買いに行った問題集を早速やっているようで、分からない所を聞きに来たようだ。一瞬、なんで真ちゃんに言うんだ。と思ったけど、よく考えてみたら、私に聞かれても小学生の問題ならまだしも中学生の問題だったら答えられる自信はない。大人の威厳を保つことができたということでオッケーにしとこ。けど、真ちゃんも聞かれて分かるの?2人の様子を見る。旦那も一緒になって問題を解いていておもしろい。まあ、よっぽどややこしかったのか「きーちゃん、最悪これが解けなくても生きていけるから氣にするな!」と早々にサジを投げていた。せっかくの前向きな姿勢をズルイ大人の発言で折るんじゃないの。真ちゃんは分かるらしく、解き方をひとつづつ分解して教えていた。ホント、この子何でもかんでも卒なくこなしてズルイ子ね!うちの旦那すら分からなかった問題なのに。
きーちゃんは自分のことを頭が悪いからと言うけど、勉強をはじめてから分からなければ私をはじめ旦那や真ちゃんに聞いてやってみるとしっかりと理解しているようで、時間がかかるものの一度教えて貰って出来るようになると驚くほどサクサク捗っていた。頭が悪くて理解できなかったというよりも、そもそも興味が無くてそのものが頭に入ってこない。が正解かもしれない。だから興味さえもてばきちんと出来るし、頭が悪いなんてことは無いと思う。今はいい刺激とアドバイスを貰って「勉強する」ということに興味が出ているみたいだけど、これをどう継続していく方向に持っていけばいいか。だよね。なかなか難しいね。