Another story 50-3.ワープ。

「嘘でしょ…」
バイトを始めて最初のお給料日。銀行の残高照会をして愕然とした。
あれだけ働いてこれだけなんだ…。
時給650円。週2回のバイトのお給料だからしれてるとわかっていたけど。
現実を知った日。ひとつ大人になったかも。
お昼ご飯は基本真ちゃんがお弁当を作ってくれて、お弁当じゃない時はお昼代を渡してくれていた。
定期代も真ちゃんが買ってくれた。
新しい家に引っ越した後、真ちゃんのお家のお仕事の手伝いをさせてもらうようになって、真ちゃんやおばあちゃんについて行った時にバイト代的にお小遣いをもらっていたから、それがバイト代の相場だと思っていたけど、現実の相場はもっと低かった。
「これ、私1人で生活ってなってたら速攻で孤独死コースだったかも」と愕然としつつ、働いて生活するのはとっても大変なことで、それを私の分までやってくれてる真ちゃんに自然と感謝の念が湧いてきた。
「よし!」
ATMの前でショックを受けていても仕方ない。全額をおろしてお店へ。
今週末は真ちゃんのおうちのお手伝いでおばあちゃんちだから、夕方真ちゃんが仕事終わったらターミナル駅まで迎えに来てくれる予定。
それまでの間に買い物をする事にした。


「高い…」
再び立ちはだかる現実の壁。
初めてのお給料で、バイトを始めるきっかけのポケベルを契約して、その残りで真ちゃんとおばあちゃんにプレゼントを買おうと決めていた。
が、真ちゃんが好きなブランドが置いてある売り場の前で心が折れそうになってしまった。
新しいお財布が欲しいと言っていたから、お財布をプレゼントだ!と意氣揚々と売り場へ向かったものの、お財布だけで初めてのお給料が…どころかお給料を全部使っても足りなかった。
手持ちのお金を足せば買えないことはなかったけど、完全に自分だけで働いたお給料でプレゼントしたかった。
お財布の隣に置かれたカードケースに目が止まる。こっちならおばあちゃんへのプレゼントも買える。
でも、真ちゃんが欲しいって言ってたのお財布なんだよなぁ。でもおばあちゃんにもプレゼントしたいし。
売り場の前をウロウロ。
悩ましい。
「先におばあちゃんへのプレゼントを見たら良いんだ!」と氣付いてフロアを移動。
おばあちゃんへのプレゼントはもう決めていた。
そして立ちはだかる同じ壁。
おばあちゃんへは、お仕事の時に持てるような鞄をプレゼントしたかった。
けど、イメージしていたものは高価すぎて真ちゃんに考えていたお財布の比ではなかった。
お値段を下げると、なんだかちょっと違う。
悩んでいるとお店の人が来てくれた。


一緒に選んで貰っている間、初めてのバイト代でおばあちゃんにプレゼントを考えていたけど、思っていた鞄では予算オーバーだったことを話すとお店の人は「おばあさま、喜びますねー」と言ってくれて、折れた心は少し復活。
お着物の鞄は小さめが多いから、折り畳めるサブバッグがあれば便利だったりすると教えて貰って見せてもらう。
小さな鳳凰の刺繍がされた鞄が良さそう。
真ちゃんへのプレゼントも買える。
決定。
お店の人がおばあちゃんへのメッセージを書いて入れていいとカードも持って来てくれたから包んで貰っている間に書く。
「いつもありがとう。大好き」で良いのかな。


綺麗に包装して貰っておばあちゃんへのプレゼントは完璧!
次にまた戻って真ちゃんへのプレゼント。
お財布…と言いたかったけど、免許証をカードケースに入れているからオッケー!という事でカードケースにした。
お財布は今月バイトの回数を増やして誕生日のプレゼントにしよう。
おばあちゃんへのプレゼントが思ったより低い予算で済んだので、おばあちゃんのお弟子さんのおっちゃんへのプレゼント。
おっちゃんは和菓子が好きで、おばあちゃんちに行くと一緒にお茶してくれるから和菓子とお茶のセットに。
最初、どうしようかと心が折れたけど終わり良ければ全て良し!


……ん?
何か忘れてる。
あ。
ポケベル買うためにバイト始めたのにポケベル契約するだけの予算残ってない。
来月のバイト代は真ちゃんの誕生日プレゼントだし、ああ、再来月に持ち越し…。
どんまい、ワタシ。


若干ショックを受けながら、氣分を上げるために文具売り場をのぞいてかわいいノートを買っていると真ちゃんから到着したと電話がかかってきた。
「携帯って便利だよなぁ。携帯代ってどれくらいかかるんだろう」
初のお給料で経済観念というものが生まれてふと思った。
携帯はねーさんがスキー学習に行く時に「なんかあれば迎えに行ったげるから電話しておいで!」と言って用意してくれたものが最初でねーさんが引っ越しても持てるように真ちゃんが新しく用意して持たせてくれていた。
何氣なく使ってたけど、これにも携帯代というものが発生してるんだよね。
せめてもっと真ちゃんのお手伝いをせねば!


「なんや、エライ買い物したなぁ」
文具売り場に来た真ちゃんが言った。
いつ渡そう。
でも文具売り場で渡すって何か嫌だから、車に乗ったら渡そう。それまで内緒。
おばあちゃんが晩御飯を外で食べようと誘ってくれたらしく、待ち合わせの時間まで展望台に連れて行ってもらった。


天は我を味方した!
文具売場より、車より、改まって渡すのにいいロケーション。
展望台に着いて、プレゼントの紙袋を持つとプレゼントを知らない真ちゃんは「それ、車に置いてたらええのに」と笑うけど置いてたら渡せない。
展望台でタバコを吸うのは知ってるからその時に渡す!
思った通り真ちゃんはタバコに火をつけたけど。
いざ渡そうと思うと何だか勇氣が出ない。
早くしないとタバコ吸い終わってしまう。
「今日な、お給料日やってん」
何とか話を切り出そうと出た言葉。
我ながら「何それ」だ。
「そうやん、人生初給料日やん。立派な社会人やん。社会に出たご感想は?」
良かった話乗ってくれた。
けど、どう広げる?
「ちょっと嬉しい」
本当は残高照会をして愕然としたけど。
「これでな、数字増えると快感やでwww」
全部おろしたから、増えるどころか0に近づいてるんだよね。実は。


「それでね、さっき百貨店寄った時に3階と6階と行ってお店の人が…違う違う、えっと」
あかん、混乱してきた。
「落ち着けー。どうしたー」と笑う真ちゃん。
一時停止、深呼吸。
「『いつもありがとうございます。使ってください』」
台本ないのに棒読み。
差し出した紙袋を見て真ちゃんも一時停止。
「くれんの?誰に?ワタシ?」
早く受け取って。訳分からなくなってきた。
「うわー、ありがとう。ちょっと感動してますよ」
無事引き渡し完了。
「開けていい?」
どうぞどうぞ。
目の前で開けられると何か緊張するな。
「おおー!やったぁ」
箱を見て喜んでくれた。良かったー。
「今、入れ替えよ」
箱からカードケースを取り出して、すぐに免許証やカードを入れ替えだす真ちゃん。
いやいや、さすがにここで入れ替えるのどうなん?
「バッチリ。ありがとう」
喜んでくれた?嬉しい。
けど、一応他に人が居るから公衆の面前でハグするのはよして。


おばあちゃんと約束したお店へ行く間も真ちゃんは「めっちゃ嬉しい」とか「初給料でプレゼントとかホンマ感動やー」と何度も言ってくれて私も嬉しい。
お食事は、真ちゃんがおうちを継ぐ時ご挨拶したお店。ここは空氣が綺麗でお料理も美味しくて大好き。
お食事が運ばれてくる前におばあちゃんとおっちゃんにもプレゼントを渡すと2人ともすごく喜んでくれた。
おばあちゃんのお家へ帰るとおっちゃんがプレゼントしたお茶を淹れてくれてみんなでお菓子といただいてる時もみんな「嬉しい」と言ってくれた。
おばあちゃんは「また宝物が増えた」と言って何度も渡した鞄を見て言ってくれる。
私が渡すプレゼントも、この家のみんなは嬉しいと言ってくれて、不幸の贈り物ではなくなった。
もしかしたら、この3年の間にいつの間にか私の贈り物もちゃんとギフトとして渡せるようになったのかもしれないと思ったら、やっぱりねーさんに会いたくなって寂しくなってしまった。
けど、みんなが喜んでくれたからメソメソしなくて済んだ。


久しぶりに夜、外に出てみた。
 月は丸く、やっぱりシードラゴンに言葉が届くような氣がした。
けど、どんな言葉を伝えたらいいのか分からなかった。
私はまだシードラゴンの元に行きたいと思っているのか、この世界でまだ過ごしたいと思っているのか自分でも分からなかった。




庭に居たはずだった。
広いバス停に居た。
時刻表を見ると、おばあちゃんの家から一番近いバス停。
最終バスはもうとっくに行ってしまった後で、誰も居らず虫の声だけが聞こえていた。
何でバス停に居るんだろう。
庭で月を見上げたのは覚えていて、バス停へ行こうなんて思ってもなかった。
少し前なら、シードラゴンに呼ばれたと思って会えそうな場所まで行っていたかもしれない。
今は、どうなんだろう。
もう一度、月を見上げた。
シードラゴンの姿は無い。
私は自分が行きたいだとかまだ行かないだとか好き勝手な事を言うからシードラゴンにすら見放されたのにまだ私はシードラゴンを探そうとするんだろうか。


月を見ていたら、何だか全て考えるのがどうでも良くなってきた。
何でこんな所に来たのか。
シードラゴンの所へ帰りたいと思うのか。
私がここに居ると誰かに認めて欲しいと思うこと。
私はこの世界にいても良いのかと問うことも。
ベンチで横に倒れてみた。
そのまま見上げるとやっぱり月が見えた。
「もうこのまま消えないかなぁ」
色々と心配したり、思い悩んだり。喜んだり悲しんだり。
もう、しんどいなぁ。
前ほど辛かったりすることは格段に減って楽しいことが増えたけど、いつもそれが当たり前だと思った頃に全てが覆されてしまう。
その度に絶望感を味わって。


私は何をしてるんでしょうかね。
出来るなら、嬉しかったなーとか幸せだなーと思った今このまま終えてしまいたいな。
黄泉の国行きのバス来ないかな。
「帰ろ…」
このままバス停に居たって黄泉の国行きのバスがやって来るわけもなく、虫に刺されてしまうのがオチだ。
このまま消えないかなぁと思うことすら馬鹿らしく感じた。
時間は分からないけど、きっとまだ真ちゃんはお風呂から上がってないだろうからコッソリ帰ればこんな所に行って居たことはバレないだろう。


と、思っていたけども真ちゃんはとっくにお風呂から上がっていて門の所に立っていた。
「どこ行ってたんかな、こんな時間に」
「えーと、バス停?」
「何しに?」
氣が付いたら居たって言っても信用してもらえるかなぁ。何か良い言い訳ないかな。
「言い訳考えんでええから。そのまま言ってみ」
「氣が付いたら、バス停におった」


天使が通る。


やっぱり信じてもらえないよね。
「バス停で良かったわ。入ろう」と真ちゃんが言った。


「やっぱさ、寝室一緒にしようか」
一瞬何のことか分からなかった。
今、同じ部屋で寝てるけど?と思ったけど、おばあちゃんの家の話じゃなくていつもの家の方か。
引っ越しをして、玄関入って直ぐの部屋を私の寝室にしてもらってる。その事かもしれない。
「氣が付いたらバス停おったりさ、電車降りる駅が分からなくなって終点行ってしまったり。最近多いで心配やわ」
バイトが終わって帰ろうと普通に電車に乗ったら、どの駅で降りれば良いか分からなくなって結局終点まで乗ってしまったことが何度かあった。
その時はボケていた訳でなく、本当に何で今自分が電車に乗っていてどこに行こうとしているのかが分からなくなった。
バイトのない休日に氣が付いたら普段降りない駅にいたこともあった。
多分、真ちゃんはそのことを言ってるんだろう。
「黙って何処かに行こうしてるとか、先に来世に行こうとするとかもう思わへんねんけどな、キリエが氣付かんうちにってのが心配やねん」
「何でワープするんやろ」
本当に氣が付いたら。という感じ。
瞬きしている間にワープしている。
もしくは、いきなり目的地が本氣で分からなくなる。


「私がずっと此岸に居たくないって思ってたから?なのに直ぐにシードラゴンの所へも帰らなかったから?だから、こっちに居たい場所にも、シードラゴンの居る私の本当の世界にも帰れなくなるってこと?」
自分の存在を消したいと思ってた。
自分なんて居なければいいと思ってた。
それは今でも思ってる。
けど、本氣で目的地が分からなくなった時、怖かった。
私の意識はしっかりとあるのにどこに行けばいいのか分からなくなって、自分はどうしたら良いのか当たり前のことが分からなくなるのが怖かった。
自分の存在を消したいと思うことは、こういう事なんだろうか。


「本当の世界はシードラゴンの所と違うで。ワタシの世界やって言ったやろ」と笑う真ちゃん。
「大丈夫、ワタシの世界がキリエが居る本当の世界やから。そんな罰みたいなことは起こらん」
何も根拠は無かったけど、真ちゃんがそう言い切ってくれたからそんな氣がしてきた。
「どこに行けば良いかとか本氣で分からなくなるやん、これがいつか私自身のことやったり真ちゃんの事やったりが分からなくなったりするんかな」
何かが思い出せないとか、スポット的に出てこなくなることは、珍しくなかった。
けど、思い出せないことが怖いと感じるのは最近になって初めて思うようになった。
自分自身のことが分からなくなることは怖くなかった。けど、真ちゃんの事が分からなくなるかもしれないと思うと想像しただけで怖くなった。


朝、起きると真ちゃんはテーブルに向かって何かを書いていた。
「これをな、定期入れと財布と手帳に挟んでおきな」
紙を渡される。
家の住所とおばあちゃんの家の住所と真ちゃんの名前と電話番号。
降りる駅。
それでも分からなかったら電話する。
と書かれてある。
「迷子札?」
「みたいなもん。昨日はバス停で済んだけどな、最近頻繁やし。後でこのメモ入るくらいの小さい袋作れる?御守り袋みたいなん。携帯にも付けとこう」
言われた通り、空いた時間を使って携帯にも付けられるようにストラップの御守り袋を作って定期入れ達と同じ事を書いて貰って入れた。


これは本当に御守りとして働いてくれて、別の日にまた自分がどこに居るのか分からなくなってしまった時にこのメモを見つけて真ちゃんに電話をかけた。
真ちゃんに電話をかけるのは慣れていたはずなのに、知らない所にかけるような緊張があったことは後々まで忘れられなかった。


何か分からなくなるのはきっかけがある訳ではなくて、本当に瞬きをした瞬間に、あるいは自分が寝ているつもりだったのに起きたら分からなくなっていた。
少し時間が経過して落ち着くと半分くらいの確率で元に戻っていたけど、やっぱり不安なものは不安だ。
それを真ちゃんに伝えると、先生に連絡をしてくれて大きな病院で検査を受けることになった。
脳に疾患があって物忘れをしてしまうのか、何も疾患はないのか。
それが分かれば対処法も考えることが出来るかもしれないと思ったけど、やっぱり検査の結果、異常は見つからなかった。


寝ることは元々好きじゃなかったけど、更に寝ることが怖くなってしまった。
寝ている隙に全て忘れてしまうのではないかと思うと怖かった。
出来ることなら瞬きすらしたくなかった。
とは言っても、瞬きも睡眠も生理現象で自分の意識がどんなに嫌がったとしても自然と限界が来れば止めることが出来ない。
やっぱり、自分の感覚では瞬きを一度しただけの次の瞬間や寝て起きると自分が覚えている場所では無い所に居るという回数が増えていた。
夜、寝る時は真ちゃんが提案してくれたように寝室を一緒にしたことでどこかへ行こうとしたら止めて貰うことが出来た。
その時した会話を自分では全く覚えていないけど、確実に起きていて真ちゃんと会話をしたと言っていた。
それを聞いて、じわじわと自分が別の自分に食われて行っているような氣がして恐ろしかった。
おばあちゃんの妹の鏡子さんを思い出した。
私と似た感覚を持っていた鏡子さんももしかしたら今の私と同じようなことになっていたんじゃないかと思った。
私も鏡子さんのように、フラッと出かけて帰れなくなってしまう氣がして怖くなった。

「これで大丈夫。起きた瞬間に氣付るで」
私の左手と真ちゃんの右手に結ばれたネクタイ。
鏡子さんのことを思い出してしばらくは黙っていたけど、その数日の間にも電車の中で自分が分からなくなったし、学校に行ったつもりが全く正反対の方角の行った事がない場所で氣が付いた日に本当に鏡子さんのようになってしまうと思って寝る時に話してみた。
あんなにこの世界から消えてしまいたかったのに、いざそうなりそうだと思うと怖くてたまらなかった。
このネクタイがこの世界に居るための唯一の頼みに思えた。
あれだけ居なくなりたいと言っていたくせに怖いと泣きついて、自分でも都合が良いと解っていたけど、それを言わずただ話を聞いてそうならないように考えてくれたことで少し落ち着くことが出来た。
次の日は学校が終わる時間やバイトが終わる時間に合わせて迎えに来てくれるようにしてくれた。