Story 85.いつも通り。

連休が終わって私と子供たちは自宅へ戻り日常に戻った。旦那は引き続ききーちゃん達の家でお世話になりながらの別居生活。正直つまらない。なんて思っていたけど、平穏な日々だった。

「は?何言ってんの?」電話の先の旦那に怒鳴った。だって、冗談にもタチが悪すぎる。『こっちまで飛行機で来れるか?空港まで行くから。時間分かったら教えて。一旦切るから。落ち着いて来たらいいから』
電話が切れても動けなかった。突然過ぎる、真ちゃんの訃報。嘘でしょ。実感も何もなく、まず何をしたらいいか分からない。
きーちゃんに電話するけど、手が震えてる。そして、呼び出すけど繋がらない。荷物をまとめて子供たちを迎えに行って、エミさんに休みの連絡すればいい?荷物って何を用意したらいい?頭の中で色々と考えるけど、足が動かないし、どこから手をつけたらいいのか分からない。嘘でしょ。エイプリルフールはとうに過ぎたから。
また、電話が鳴った。旦那からだった。『子供らは由佳が迎えに行ってもらって預かってもらうよう頼んだから。大丈夫か?』「きーちゃんは?」『きーちゃんなら大丈夫やから』私が1人で向かうのが難しいなら一度こっちに迎えに来てくれると言うけど、きーちゃんについてて貰うように言った。『ひとまず、そのまま来い。こっちで用意はしたらええから。ホンマに大丈夫か?』「大丈夫、時間がわかったら連絡する」
電話を切って、深呼吸する。落ち着け。落ち着け。落ち着け。まだ混乱して動けない。
「ねーさん、あーん♪」きーちゃんの声がした氣がした。思い出して、この間きーちゃんがお土産にくれた袋を出して金平糖をひとつ食べた。大丈夫、今、私が混乱してるわけに行かない。今は、早くきーちゃんの所に行かなきゃ。
「キリねぇ!大丈夫?」玄関のドアが開く音がして、姪が走って来た。「よっちゃんから電話もらった。用意出来てる?空港まで送るから。まぁ達はママと迎えにいくから」姪も動揺してる。「まぁ達はママと連れてくから。キリの所早く行って」ひとまずの荷物を持って、姪の車に乗った。
「あー、もう!早くーーー」信号で止まるたび姪が言う。「よっちゃんが一緒に居るからキリは大丈夫やからって。キリは大丈夫って言ってたけど大丈夫な訳ないよ。なんでよー。信号ーーー!」
姪が送ってくれて良かった。多分、私一人じゃ動転して空港まで行けなかったかもしれない。実感は全くないのに、動揺してる。「由佳、ありがとね」「そんなら今度なんか奢って」少し雑談出来るくらいに落ち着いて来た。
葬儀までのスケジュールは旦那が言ったはずだけど全く覚えてなかった。葬儀の日に子供たちを連れて義姉と姪が関西に来てくれると言う。私が動揺して動けなかった間に、旦那は義姉に連絡して子供たちのことを頼んでくれた。姪もその場に居て、息子たちを葬儀に連れて行くと言ってくれたらしい。「ママってば連れてかない氣とか正氣?まぁなんてあんなに可愛がって貰ったんだしもう分かるよ」姪一人でも連れて行くと言ってくれたらしい。「落ち着いたら後で連絡くれたらいいから。まぁ達は何とかなるよ」そう言って送り出してくれた。
わがまま放題だと思っていた姪は、とても大人になっていた。友達のことを心配して第一に考えてくれてる。
飛行機も奇跡的にすぐにチケットが買えて最短で関西に向かえた。よく考えたら、空きが無かったらヤバかった。ツイてると言っていいものか。関西に着くとすぐに旦那と落ち合うことが出来て、旦那の顔を見たら急に緊張が解けたのか実感もなにも無いのに空港で大泣きしてしまった。きーちゃんの前ではちゃんとしっかりするから。
きーちゃんは家で真ちゃんと居てるらしい。おばあちゃま達が居るから大丈夫だと旦那だけが迎えに来てくれた。
朝は普通に起きて食事をしていたけど風邪が治りきらないと言っていた真ちゃん。きーちゃんは母屋に行っておばあちゃまと作業をしなきゃいけないから、きーちゃんが終わるまでの間に先生を呼んで診てもらおうかと話をしながらお店の最終の設計図も見せてくれたりして話をしていたら突然倒れた。すぐに救急車を呼んで搬送されたけど、搬送中に心肺停止状態になって病院で死亡が確認された。
「やっぱり何か分かったんかな」救急車を呼んでいる時に「作業が終わるまで戻れないから電話してきてもダメだからね!」と言っていたきーちゃんが戻ってきたそう。おばあちゃまとの作業の時、真ちゃんは同じ敷地内なのに夕方になると何故かいつも電話をかけて「早く戻って来い」と言ってきーちゃんに怒られていたらしい。「最期まできーちゃんやで」旦那が聞いた最期の言葉はきーちゃんの名前だった。それを聞いたら、また涙が止まらなくなった。
到着すると、パパさんもおじいちゃまも帰ってきていた。おばあちゃまは私の顔を見ると、きーちゃんの所に行ってあげてと言った。早くきーちゃんの所へ行きたいのに怖くて玄関から足が動かなかった。早くきーちゃんの側に行きたいのに、その現実を自分の目で見なければいけないのが怖かった。
「大丈夫か?向こうで先休もう」と旦那が言ってくれたけど、休んでいられない。早くきーちゃんに会わなきゃ。きっと泣いている。旦那に支えてもらって、襖を開ける。続間の奥の部屋できーちゃんは座っていた。背筋を伸ばして微動だにせず、ただ真ちゃんを見ていた。「きーちゃん、戻ったで」旦那の声できーちゃんが私たちの方を向く。ゆっくり立ち上がって私たちの所にきた。「ねーさん、急にごめんね。マハルくん達は?」いつもの、きーちゃんだった。「きーちゃん」憔悴して、私のことも氣付かないかもしれないと思っていたから正直驚いた。「ねーさん大丈夫?疲れたよね?ご飯、もうすぐ届くから。お茶淹れるね」「きーちゃん!」きーちゃんはあくまでも、いつものきーちゃんだった。お茶を淹れると部屋を出ようとするきーちゃんを引き止めた。「お茶よりジュースのがいい?オレンジならうちの冷蔵庫にあるから取りに行こうか?」「違う…」いつもの調子で話すきーちゃんにそれしか言えなかった。「お茶、淹れてくるから。美樹ちゃんと待っててね」そう言って部屋を出てしまった。旦那に促されて真ちゃんの所へ行く。普通に寝てるみたい。顔を見てもなんだか実感がわかない。盛大なイタズラ?今に起きるんじゃ無いかとそんなことすら思った。

しばらくして、きーちゃんがお茶とオレンジジュースを持って来てくれた。「メガネ…」極端に目が悪いのに、頑なにメガネを拒否していたきーちゃんは、さっきまでかけていなかったメガネをかけていた。「コンタクト落ちちゃってたみたい。似合わないやろー。でも、このメガネ真ちゃんとお揃いなん。二本セットで買ったら安かってん」と笑う。「お茶とジュース、どっちがいい?美樹ちゃんにはビールにしたかってんけど後でちょっと買い物連れて行って欲しいから後でねー」いつもと変わらないきーちゃん。逆に心配になる。お茶とジュースの乗ったお盆を置くと、きーちゃんはメガネを外した。
『何でかわからんけどな、コンタクト外すと見えんモノがよく見えるねん』真ちゃんが言ってた言葉を思い出した。裸眼だと微妙な空氣の変化が視覚で分かると言っていた。きーちゃんは見えない真ちゃんを探しているのかもしれない。「きいちゃん、今大丈夫か?」パパさんが来て、明日以降の話をする。想像は出来ていたけど、参列する人がかなり多いらしくいろんな手配をしなければいけないらしい。
「喪主って何したらいいの?」明日までに喪主を決めなければいけない。まだ入籍はしていなかったから、パパさんかおじいちゃまがいいのではないかと葬儀屋さんに言われたそうだけど、おじいちゃまやパパさん、おばあちゃまは入籍はしていないけれど実質的にきーちゃんが相応しいのではないかと話していたらしい。「手配はうちらがやるから大丈夫や。お寺さん来た時とかの挨拶とかかな。それも一人でせんで大丈夫やで、ワシらがするより嫁さんが勤めた方がええでな」「分かった。次これしてって教えてねー」パパさんの言葉に頷くきーちゃん。旦那も出来ることがあれば手伝うと申し出て、私たちはきーちゃんのサポートを頼まれた。

「結局、今日全部美樹ちゃんにやってもらっちゃった。役立たずでごめん」慌ただしく順に夕食を済ませた後、おばあちゃまにお供えの真ちゃんの好きだったものを買ってきて欲しいと頼まれてきーちゃんと買い物に出かけた。
車の中で、今日は救急車を呼ぶ所から全部旦那がやってくれたと言うきーちゃん。病院に搬送されて、旦那は後から来たおばあちゃま達と病院での手続きや葬儀屋さんの手配なんかを手伝ったらしい。「役立たずじゃないよ。そんなのすぐ出来ないってば」「美樹ちゃん居てくれてホント良かった。ありがとねー」やっぱりきーちゃんはいつも通りだった。

「きーちゃん、調子悪いの?」スーパーできーちゃんは「風邪薬って売ってないかな?」売り場をウロウロする。この時間だと薬局もやってないし、もちろんスーパーには風邪薬は置いてない。「私は元氣ー。真ちゃんがね、昨日から風邪引きさんだからね、買っとかなきゃねーって。せんせーはぼったくるからって真ちゃんが言ってたから」と笑うけれど、私も旦那も止まってしまった。「きーちゃん、風邪薬はもう、大丈夫やで」旦那の声が動揺していた。「そう?じゃあ栄養ドリンクだけ買っとくかー。パンチ効きそうなヤツ選んだろー♪」と栄養ドリンクを選ぶきーちゃん。この栄養ドリンクって…真ちゃんに選んでる?「栄養ドリンク選んだら抹茶アイスとー、牛乳プリンとティラミスだな」「甘いもんばっかやがな」いつものように話そうとしているけど旦那の顔が引きつっている。きーちゃんの誕生日を勘違いした時に真ちゃんが用意したティラミス。それから2人はよくティラミスを食べていて「あの勘違いしたのはね、我が家ではファイヤーティラミス事件と言ってるんだよ」と笑って教えてくれた。きーちゃんがティラミスを選ぶのを見るとまた泣けてくる。

帰って、おばあちゃまと一緒に買ってきたものをお供えする。「ちょうどお仏壇ろうそくたくさんありますよ。立てますかー?今日はお家だから立てるならお皿に移した方が安全ねー。お家が燃えたら大変ー」といつもの調子で真ちゃんに向かって言うきーちゃんを見ると涙が止まらなくなった。いつもなら笑いながら「なんでやねん」とツッコミを入れる真ちゃんは横になったまま返事をしない。

おばあちゃまも、パパさん、おじいちゃまも。氣丈に振舞っているけれどやはり辛そうで、旦那が明日以降もあるし早めに休むようにお願いしていた。「ねーさんも疲れたよね、お布団出さなきゃね。いつものお部屋でいい?」やっぱりきーちゃんはいつも通り。「きーちゃんは?」「んー、どうしようかなー」少し考えて「真ちゃんここに居るから私も今日はここで良いよ」と言う。「私も一緒に寝るよ」と言うとお布団を敷いてくれた。
お風呂から上がるときーちゃんは変わらず、真ちゃんの居る部屋に居た。真ちゃんと垂直になるようになって転がってるきーちゃん。「私、退屈ですよー。そろそろ起きてくださーい」きーちゃんは寝転んだまま、真ちゃんの髪に触れて小さな声で言った。旦那は同じ部屋の隅で黙ったままきーちゃん達を見ながら飲んでいた。

早く起きなさいよ。あんなに大怪我したって帰ってきたんだから、起きれるでしょ。うちの可愛い娘が退屈してるじゃない。
しばらく、真ちゃんの髪に触れた後、「やっぱ昨日のうちにやったげたら良かったね。こんなに明るい色、真ちゃんっぽくないねー」と言う。昨夜、髪をアッシュにしたいと言ってきーちゃんが真ちゃんの髪の脱色をしていた。真ちゃんはそのまま続けてアッシュを入れてしまおうと言ったけど、きーちゃんは風邪引いてるし続けてカラーしたら髪が傷みすぎるから別の日にしようとカラーはしなかったと旦那が教えてくれた。「今のうちにカラー入れたげたらあかんかな?」ときーちゃん。「さすがにそれはあかんやろ」と驚きの発言だったのか旦那は少し笑う。「そっかー。どうしても金髪はなぁ…眉だけ色抜く?いや、そんな真ちゃんはやだなぁ。けど、バシッと決めて送りたいしなぁ…」とホンキで悩んでいる。
「ピアスも外さなきゃダメなんですってー。でも、ギリギリまでもう少しつけてて下さいねー」真ちゃんのつけている7つのピアスは全部きーちゃんが作ったものだった。「またタイミング、ズレちゃいますなー。次またちゃんと会えるかなー。私が100歳超えて生きてしまったらどうなるんだろー。次はおじーちゃんとひ孫とかになるかなー。介護する人と患者さんとか?介護しながら旅行ってどっちも大変そうだから嫌だなー」普段真ちゃんと話すように話しかけるきーちゃん。次、また会える。きーちゃんも繋がったのかな。ようやく2人の記憶が繋がったのに、また離れてしまうのか。きーちゃんはまた次に生まれ変わったとしても出会えると信じているようだ。そうじゃないと保たないのかもしれない。
「あ!そうだ!明日までに仕上げるから待ってて」と言ってきーちゃんは立ち上がって離れの方に走っていった。
しばらくすると、きーちゃんの製作グッズの入ったトランクとMDのラジカセを持ってきて真ちゃんの隣に座る。取り出したのは、麻の紐で編みかけたもの。「麻で作ろうって言って正解だよねー。いつもみたいなのにしたら燃えないから外して下さい!って言われるとこだったよ。ナイス判断!」そう言って、音楽をかけて器用に何本もの紐を編むきーちゃん。私たちは、何も言えずその姿を見ているだけだった。2人が車で聞いていた音楽が流れて、それに合わせてきーちゃんは口ずさみながら紐を編む。
「あ…」きーちゃんのサプライズライブの最後に演奏した曲がかかって、旦那も私も思わず声を出してしまった。あの時、まさかこんな日が来てこんなシチュエーションでこの曲を聴くなんて思わなかった。間奏の時、いきなりステージを降りてきーちゃんを迎えに行った。加奈子がティアラを真ちゃんに渡してそれをきーちゃんに乗せて。真ちゃんと加奈子に私もやりたかったー!と言うと2人は盛大にドヤ顔して悔しかった。あの日の光景を思い出したらまた涙が止まらない。

きーちゃんは変わらず歌を口ずさみながら編み続ける。ちょうど曲が終わる時にきーちゃんは顔を上げた。「美樹ちゃん、ライター持ってる?取ってくるの忘れちゃった」と言って旦那の所へくる。旦那は「煙草吸うとか不良やな」と言ってライターを渡す。「不良じゃありませーん」ときーちゃんはライターを受け取る。そして、麻と麻を止めた紐に火を通した。そして、旦那の方を向くけれどすぐに向きを変えてお供えの棚から煙草を取り出して火をつけた。「完成後の一服は格別!」と言って笑う。いつの間にか煙草を吸えるようになってたんだ。「自分では買わないけどねー。真ちゃんが買ってきてくれるから」と笑う。

「何作ってたの?」「真ちゃんに新しく作ってって頼まれてたん」と言って編んだブレスレットを見せてくれた。「麻ってね、バリアになったり場を綺麗にしたりするスーパー植物なんだってー。だからね、御守りになるの編んでって言われてたん」間に合った、ギリギリセーフ!と笑うきーちゃん。「あ、今もうつけられないかな?」どう言うこと?「ホラ、死後硬直だっけ?あれが始まってから変な力をかけたらバキッていっちゃうって何かで読んだんだよねー」どんな本を読んでるの。本を読むの苦手なのに。「そっとやったら大丈夫ちゃうか?」と立ち上がる旦那。布団をめくって組まれた腕を見る旦那。「多分動かさんでも入るわ。右?左?」「出来れば左かなぁ。お布団動かさないとあかんかなー」「行けるんちゃうか?」そう言って2人はお布団の反対側に回る。「いけた!」真ちゃんの左腕にさっき編み上がったブレスレットがつけられた。
「ヒトの身体ってホントにただの入れ物なんだね」トランクに使っていた紐や道具を片付けながらきーちゃんが言った。「真ちゃんなはずなんだけど…なんだろ、真ちゃんにそっくりな蝋人形みたい…真ちゃんが居ないやん」と言って、真ちゃんを見る。
「あ!」と言ってラジカセのリモコンを操作する。いや、さっき蝋人形って言ったからって…今は「お前も蝋人形にしてやろうかー!」なんて氣分にどうしたらなるの。「多分ね、今真ちゃんも聞きたくなったはず!間違いない!」言いたいことは分からないでもないけど、多分このタイミングだったら真ちゃんも歌い出す所だけどこの空間、すごいカオスだよ。

翌日、日中に納棺。お通夜に参列出来ない方も弔問にいらして少しずつ慌ただしくなる。弔問に来る方々はみんな本当に早過ぎる別れを惜しんでいた。お通夜、葬儀、火葬。私もそれなりに動いたからなのか、落ち着いているつもりで実は動転していたからなのかきちんと覚えていない。きーちゃんは、おばあちゃまを氣遣ったり弔問にいらした方の対応をしたり立派に当代さんとして振舞っていた。
葬儀の日、加奈子が連休に撮った写真集を渡してくれた。楽しみにしていたのに、こんな日に見ると悲しくなる。婚礼衣装だったり、普段の2人だったり。そこには笑顔の幸せな姿が写っている。
葬儀の日に姪たちが子供たちを連れてきてくれる予定だったけれどタマキが熱を出したと連絡があって家で見てもらうことになった。お通夜の後に私だけ戻る事も考えたけれど、義姉が大丈夫だから氣にせずに送ってあげてと言ってくれて甘えることにした。
きーちゃんはいつもと変わらない様子で淡々と動いていた。ただ、氣になるのは私が到着してから何も食べていない。時々何かを食べるように私や旦那も声をかけていたけれど、「後で食べるね」と言って忙しく動き結局食べていないようだった。
火葬から戻って、きーちゃんもおばあちゃまもみんな疲れ果てていた。きーちゃんは口数少ないけれど、みんなを労ってあれこれと引き続き動く。

「きーちゃん、ご飯届いたよー」夕方、頼んでいた食事が届いたから離れにきーちゃんを呼びに行った。きーちゃんはリビングのソファーで寝ていた。テーブルには家族写真が置かれていて、きーちゃんのすぐ横に雑貨屋さんのスケッチブック。真ちゃんが描いたお店のデザインのページが開かれていた。
私がこっちに来てから一度も涙を見せることなく、悲しいとも寂しいとも言わず、おばあちゃま達を氣にかけて普段と変わらないようにしていた。喪主も氣丈に勤め上げて、その姿は参列した方の涙を更に誘っていた。
式が全て滞りなく済んで戻ってからもみんなを労って動き回って、その後ちょっと休むと言って1人で離れに戻ったきーちゃんは、真ちゃんがよく着ていたパーカーを着てソファーの上で小さくなって眠っていた。
『寂しくなってたから着てた』真ちゃんが長い出張で留守にしてた時、リビングに無造作に真ちゃんのパーカーが置かれていて「なぜこんな所にあるんだ」と聞いた時に言ってたのを思い出した。当代さんになるために私と2人で出た旅行先でも本当は声を聞きたかったであろう時、自分の務めを果たす為に着てきちんとやるべきことをこなしていた。
私たちが実家に引っ越した時も、それから長い間、私たちと会った時、別れる間際までいつも通りに過ごしていた。実家に戻ると伝えた後、きーちゃんは私たちに心配かけたくないからいつも通りにすると決めてその通りにしてくれた。けど、私たちと別れた後「寂しい」「帰りたくない」と泣いていたと真ちゃんが教えてくれた。
きーちゃんは私たちの前では普通にしていたけど、忙しいわけでも強くなったわけでもなかった。私たちに心配をかけないように。ただそれだけの為にいつも通りに振舞っていたんだ。
人一倍、繊細で泣き虫で、いつもボロボロになって。けど、人一倍優しい子。
寂しくないわけはない。悲しくないわけはない。
何か声をかけたかったけど、どんな言葉をかけたってそれはとても薄い言葉に思えて、何をどう言えば良いか分からなかった。
一段落ついて、いきなり実感が湧いてくるかもしれない。いきなり孤独や絶望感が襲ってくるかもしれない。眠れない日がまた来るかもしれない。この次に確実にやって来るであろう孤独と絶望に寄り添う真ちゃんはもう居ない。今はゆっくり休めるようにただ隣で座っているだけしか出来なかった。

旦那が私達の食事を持ってきてくれた。何かを言おうとしていたけどソファーで眠るきーちゃんを見て、何も言わず私の隣に座った。
「私さ、予定通り明日帰るわ。美樹、もうちょっときーちゃんについててあげてくれない?」旦那が来るまでの間、きーちゃんの寝顔を見ながら考えていた。義姉は明日まで子供たちを預かる大丈夫だと言ってくれた。緊張が解けた後のきーちゃんを考えたら1人で置いて帰るのは心配だった。一瞬、私が残ることを考えたけれど、旦那が付いていた方が良い氣がした。変な意味は無いし、真ちゃんの代わりになるなんて思っていないけど、今のきーちゃんは私よりも旦那の方が良いと思った。「大丈夫なんか?」と旦那が心配してくれたからそれを伝えると了解してくれた。

目が覚めたきーちゃんはやっぱりいつもの調子だった。ご飯を待っていたことを知ると「先に食べていいのにー。ありがと。」と笑った。旦那には「たくさん買い置きあるからね。本当ありがとー」とビールを出してくれて、遅くなった夕食を並べた。けどやっぱりきーちゃんは、お弁当に箸をつけず旦那に朝食べてと言った。ここしばらくあまりご飯を食べられてなかったから、真ちゃんが作っていた野菜スープにすると台所に向かった。
冷蔵庫の前に立つきーちゃんがカウンター越しに見えていたけど、急に見えなくなった。慌てて旦那と2人で台所へ走ると、きーちゃんは冷凍庫を開けたまましゃがみこんでいた。「貧血?横になろ?」きーちゃんは黙ったまま首を振った。
「真ちゃんが居ないとご飯作れない。食べられない」床にいくつも涙が落ちた。
冷凍庫には、几帳面な真ちゃんの字で日付と何が入ってあるのかを書いた付箋の貼られたパックが並んでいた。『お腹空いた時』『胃が痛い時』『お腹が痛い時』『寝られない時』『風邪ひいた時』
「真ちゃん、お腹空いたー」力なくきーちゃんが言う。いつもなら真ちゃんが「はいはい」と笑いながらきーちゃんのご飯用意していた。伏せっていた時、きーちゃんのこの言葉を聞いて真ちゃんは泣いていた。またいつもみたいに「解凍するだけやん。世話がかかりますな」と笑いながら温めてくれるように、きーちゃんは何度も真ちゃんを呼んだ。きーちゃんは苦しくなると、食が細くなる。だから、食欲は元氣になってきた証拠だし食べようとするのが嬉しいと真ちゃんが言っていた。きーちゃんは食べようと、生きようとしている。
きーちゃんがご飯を食べなかったのは、真ちゃんが笑いながらいつものように用意してくれるのを待っていたからかもしれない。
どうしてあげることも、何て声をかけたらいいかも分からず、私も旦那もただ小さい子が泣くように涙を流すきーちゃんを抱きしめて頭を撫でるしかできなかった。

翌日、私は旦那ときーちゃんに送ってもらって空港から帰途に着いた。あの後、泣き疲れたのかきーちゃんはまた眠って、朝になったらまたいつものきーちゃんだった。「昨日はごめんね、一緒にいてくれてありがと」と照れながら言うきーちゃんをハグするしかできなかった。
義姉の所へ子供たちを迎えに行くと、タマキの熱も下がり、子供たちはマイペースで過ごしていて安心したら脱力。義姉も姪もきーちゃんを心配してくれていた。ちょうど大阪のオーナーの所に行ってると言うタイミングだったのもあって旦那を置いてきたと言うと少し安心してくれたみたいだった。
「キリとよっちゃん、何かの間違いがあったらどーすんの?」と姪が言うので「んなわけあるかい」と全力でツッコんでおいた。姪に言われるまで微塵もそんな心配しなかったけど、帰りに職場に寄ってエミさんたちに同じように報告すると、同じように心配されてしまった。そうか、一般的にはそんな心配が生まれるシチュエーションだったのか。
今回は私ではなく、旦那が近くに付いていてくれた方が良いと思ったのは旦那がオトコだからってのもあるけど、そこから何かの間違いに発展するだろうという心配は本当に浮かばなかった。子供たちをよろしくー!という娘を預けたノリに近かったから、ある意味で目からウロコが落ちた。
毎日旦那と連絡を取ってきーちゃん達の様子を聞いた。きーちゃんは旦那やおばあちゃま達の前では普段と変わらないように振る舞い、やっぱり時々思い出したように1人で隠れて泣いているらしい。『まだ泣けるだけええんやろうけどな』と旦那が言った。
オーナーは事情を分かってくれて「しっかり付いていてあげて」と言ってくれて心配してくれていた。旦那はその間におばあちゃまと手分けしながら整理をしているという。やっぱり旦那に任せて正解だったかもしれない。私、整理とかはようやらんと思う。
2週間位経ってきーちゃんは普段通りに過ごそうとしているようだけど、少しずつ精神的に不安定になっているという。ふと思い出して泣いてしまうのは仕方ないけれど、元氣になったと思って買い物に連れて行くと真ちゃんが居る時と変わらないように真ちゃんの物まで買うし、晩御飯の支度をすると3人分用意してしまう。「夏物の服を出さなきゃ」と言って真ちゃんの物も用意し始めて、旦那が声をかけると「真ちゃんのは用意しなくていいんだったね」と笑い、「もうすぐ真ちゃんの誕生日だね。今年のプレゼント喜んでくれるかな」と楽しそうに新しいアクセサリーを作る。しばらく作っていたかと思うと「真ちゃんがもう居ないんだった。忘れちゃうね」と笑い、そして、真ちゃんが居ないと改めて確認してしまって、また1人になって泣いてしまうらしい。
「そうや、真弥の荷物の中になキリコの通帳が入っとってんけど知っとる?」と言われて最初は何のことか分からなかった。けど、すぐにきーちゃんが進学する時に足しにしてと押し付けたものだと思い出した。それを言うと旦那は「おまえなぁ…」と電話の向こうで苦笑いしているのが分かった。
『きーちゃんがな、どうしても受け取らんって』生命保険。きーちゃんが受取人になっている契約もあって、おばあちゃまやパパさんが手続きする時にきーちゃんも…と言われたけど手続きを拒否してたらしい。「こんなのいらない。ここに名前を書いてもう真ちゃんが帰って来ないことをいらない物の為にまた確認しなきゃいけないの?」「こんなのよりも真ちゃんがいい。真ちゃんが作ったご飯がいい。一緒に寝たい。一緒に厩戸皇子ツアー行きたい」と言って真ちゃんの仕事部屋に閉じこもってしまったらしい。
翌日、おばあちゃまやパパさん、旦那に説得されて手続きは完了したけど、きーちゃんは話さなくなってしまった。『呼んでも届かない声なんて要らない』前にきーちゃんがそう思ったら話せなくなった。と言っていたのを思い出した。『そんなんになってもな、『ワガママと迷惑ばっかりかけてごめんなさい』って言うねん』声が出なくなってしまったきーちゃんは、旦那にそう書いた手紙を渡したらしい。『今、きーちゃんなりに整理しとるんやろうな』と旦那が言った。