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Story 86.真実。
旦那に任せたものの、やっぱりどうしても心配になって、翌朝、一度関西に行こうと義姉にもう一度子供達を頼めないか聞いてみた。義姉も姪も「早く行ってあげて」と言ってくれて2泊3日で関西へ飛べるように手配して用意いる時だった。
旦那からのいつもの報告は夜だったけど、珍しく昼過ぎに電話がかかってきた。「ちょっと、何言ってるか分かんない」珍しく電話の先の旦那が動揺していた。今朝、午前中から真ちゃんのヘルプで行っていた会社に荷物の整理に行っていたけど、帰るときーちゃんが居なくなっていた。おばあちゃま達は仕事で留守にしていておばあちゃまと出かけた訳でも無いという。きーちゃんの性格を考えたら、少し散歩に出るにしても旦那に電話をするかメモくらいは置いていく。嫌な予感がした。義姉に頼んでそっちに行く準備をしていた事を伝えてすぐに関西へ向かった。
旦那は空港まで迎えに来てくれたけど、まだきーちゃんは帰らないらしい。急いで家に向かうとやっぱりまだきーちゃんは帰って居なかった。
きーちゃんがいつも持っていたカバンも、携帯も置いてある。真ちゃんとお揃いのキーホルダーの付いた鍵も2つ並んでかけてある。テーブルの上には、いつも持ち歩いていたスケッチブックも開いたまま置いてあった。真ちゃんが良く着ていたパーカーだけが無くなっていた。
リビングからウッドデッキを見ると、七輪が置いてあるのに氣付いた。使う時だけ出していたのに。外に出て七輪を見ると、何年か前にきーちゃんが初めて作って誕生日プレゼントとして渡して、何度もメンテナンスをしながら真ちゃんがずっとつけていたブレスレットとネックレスとピアス。そして編みかけのアクセサリーが半分以上焦げた状態で入っていた。旦那に聞くと、知らないというから旦那が出かけた後きーちゃんが処分しようとしていたんだろう。七輪に残されたアクセサリーを取り出して、リビングに戻る。きーちゃんの夢が描かれたスケッチブックは、やっぱり真ちゃんが描いたお店のページが開かれている。
一枚ずつページをめくる。2人で色々と話しながら描いていたんだろう。2人の文字でいろんなメモが書いてあった。それは、見ているだけで楽しくなるようなそんな文字。ようやく2人揃って見ることができ始めた夢がそこには詰まっていた。
裏表紙の上半分には7人で撮った家族写真と日付があった。下半分には「8年後」とだけ真ちゃんの文字で書いていた。「何で8年?」旦那と首をかしげる。8年後にまた同じサイズの写真が貼れるようなスペース。「これは処分できんかったんやな」と旦那が言った。裏表紙や後ろの方のページは少し焦げた色をしていた。『28歳まで一緒にいるって約束してたんだけどね…』8年後の誕生日はおそらくその約束していた歳。14歳のきーちゃんに真ちゃんが、生まれてからの同じ時間をかけてきーちゃんがここに生きていてもいい、生きていて良いと確認することもなくなるようにするから一緒にいようと約束したときーちゃんが教えてくれた。
嫌な予感がした。おばあちゃまに連絡するのはまだ早いかもしれないと戸惑ったけれど、連絡してきーちゃんの行きそうな所を聞いた。おばあちゃまは急いで戻ると明日戻ってきてもらう事になった。まだ居なくなったのは午前中のことだし、荷物が置いたままだからフラッと戻ってくるかもしれないと家で待つことにした。旦那がもしかしたらうちに来るかもしれないと姪に連絡して家に居てもらうことにした。
落ち着かなくて、お互いが何とか雑談をしながら間を持たせてきーちゃんを待った。その時に、姪やエミさん達に言われた「何かの間違い」の話をしてみた。旦那は「んなわけあるかい。きーちゃんはなぁ、どう頑張っても娘やわ」と笑った。だよねー。余りに続けて言われたからちょっと心配になってたのは内緒にしておこう。
旦那が真ちゃんの荷物から見つけた私の通帳と印鑑を持って来てくれた。きーちゃんが作ったんだろう小さな袋に入っていて、中を見ると何も手はつけられていなかった。真ちゃんらしいなぁ。
「荷物にさ、何か行きそうな手がかり無かった?」「見つからんかったなあ」アテにならないな。「あ」あ?「日記?手帳ならあったで」それだよ!一番有力じゃん!旦那が日記を取りに行ってる間、きーちゃんも事細かに手帳になにかを書いていたのを思い出した。「きーちゃん、ごめんよー」鞄を置いていったのが幸いというか…。ただ勝手に手帳を読むってのはとってもとっても良心が痛む。私なら勝手に日記を読まれた日には、悶絶して耐えきれないだろう。私があげたシステム手帳には見慣れた文字でたくさん書いてあった。これは全部探すのに時間がかかりそうだわ。氣合いいれて最初から読むと決意すると旦那が手帳を取ってきた。
「これ真ちゃんの?」「せやろな。あいつの鞄の中にあったし」手帳を開く。几帳面な文字が並ぶ。文字がその人の状態を表すって言ってたけど、その通りだな。細いけどしっかりして整った文字。マンスリーには仕事の予定と場所が書かれていた。かなりの場所に行っているみたいでやっぱり全部回るのは不可能に近いな。探すとなったら免許を持ってないきーちゃんが行けそうな場所か。
ウィークリーにはきーちゃんの体調が記録されていて、亡くなった日の朝まで記録されている。読み進めると、色によってその時の状態が違うことがわかった。黒は調子の良い時。赤は体調に現れた時。青は精神的に現れた時。特筆すべき事項や外食した店、きーちゃんの仕事の予定も書かれている。日付に引かれたオレンジのマーカーはなんだろう。
「これ、どの色優先に読むべき?」「わからん。えらい几帳面に書いとるな…」感心するのは良いけど探して。このオレンジマーカーの日付ときーちゃんの手帳と照らし合わせてみる?「うーーん」何日か分を照らし合わせてみたけど、マーカーの日に限ってきーちゃんの手帳は空白。分からない。探偵になった氣分。ほぼ毎日引かれている週と、逆にほぼ引いていない週もある。きーちゃんの手帳は空白。きーちゃんの空白欄はランダム。書いてある日は、赤の日は書いてあるけど、青色の日は空白が多いな。ってことは、きーちゃんの体調と関係あるはず。自分の鞄から私の日記帳を引っ張り出す。「分かった!」「どこ?」「ごめん、場所じゃなくてマーカーの日」「なんやねん、期待させんなや」
ごめんごめん。マーカーは、小さいきーちゃんだったり何かスコンと抜けたり記憶が飛んだ日だ。今年に入ってからはあまりないけど、旦那に言って探して貰った真ちゃんの過去の手帳を念のため遡って見てみると、きーちゃんが事件に巻き込まれた頃にはずっとマーカーが引いてあった。病院から帰ってきただろう、きーちゃんがお風呂場で1人命を断とうとした日には「間に合った」とだけ書かれていた。数冊の手帳を遡っただけで、きーちゃんが元氣で過ごした日がこんなにも少ないのかと驚いた。だから、この1年位で急に増えた黒い文字を見たら悲しくなる。
きーちゃんは戻らず、手がかりも分からず朝になった。寝付けなかったから夜中に勝手に漁るのはどうかと思ったけど、家中に手がかりが無いか探していると、きーちゃんの手帳のリフィルを見つけた。私がシステム手帳をあげた年から大切に残されていた。
初めて一緒に過ごした誕生日。海に行った日。マハルが産まれた日。アキちゃんと魔法使いのお城に行った時。私たちが地元へ帰ると決めた時。引越しの日。サプライズライブ。
初めのうちは、読んでいるだけでも胸が痛くなるほどきーちゃんの孤独が分かった。シードラゴンは、きーちゃんが自分の存在に疑問を抱いて孤独を感じた時にきーちゃんを迎えに姿を現していたようだった。その度に真ちゃんに邪魔されたと怒っているような戸惑っているような表現が書かれている。
時間が経つにつれて、悲しさと孤独が多い日記に少しづつ私達の名前が出てきて『嬉しい』だとか『幸せ』だとかの感情が記されるようになっていた。
真ちゃんが対の当代さんの話を伝えた頃は、真ちゃんが言っていた通りプレッシャーが大きいようだった。「一段と仕事に取り組むようになってさ。必要だと思ったことは何も言わなくても自分で考えて調べたり実践してみたり。この健氣さヤバいやろ」と真ちゃんが惚氣てたけど、自分なりに試行錯誤を繰り返している様子が見えた。
挙式の日には2人で撮った写真が貼られていて『シードラゴンへ。もう、大丈夫。もうしばらく待っててね」と書かれている。他愛もない日常だけど、きーちゃんが真ちゃんはもちろん私達のことを大事に思ってくれてることが分かった。
真ちゃんが亡くなってからは空白だったけど、昨日の日付の所には『真ちゃんもシードラゴンも迎えに来てくれない。早く来て』と書かれていた。
昼過ぎにおばあちゃまが帰ってきて旦那は事情を説明するとおばあちゃまは泣き崩れてしまった。きっとキョウコさんの事も思い出したのかもしれない。真ちゃんに続いて、きーちゃんまで。きーちゃんは今どうしているんだろう。何も持たずに出ているからそんなに遠くへ行けないはずなのに。大事なスケッチブックも、真ちゃんが選んだ洋服も、大好きなおうちも。全部置いてどこへ行ってしまったんだろう。
「奥さん、こんな事言うのは酷かもしれんけど…」おばあちゃまと一緒に帰ってきていた先生。「お嬢、後を追ったとか無いですか?どっか心当たり無いですか?」後を追うって…。一瞬どころか何度も想像してしまった。けど、その度に打ち消した。
その他の可能性として、と話を続ける先生。「後を追うって言う意識は無いけど」真ちゃんが亡くなってからのきーちゃんの様子を見ていたら一時期マシになっていたと思った解離の症状が見られた。解離の症状の中に突然放浪してしまうこと、その時自分に関わる重要なことを忘れてしまっていることや全くの別人として暮らしているのを発見される。ということもあると教えてくれた。そんな人は意識して全くの別人になって暮らしているのではなく、別人そのものとして自分自身疑うことなく生きているらしい。
おばあちゃまは、弁護士さん始め家でお願いしている人達に頼んで何としてでも探すと言ってくれた。そして、何度も私達に申し訳ないと頭を下げた。
手がかりもないまま、帰る日になってしまった。おばあちゃまに後の事を頼んで、一旦、旦那も帰る事にした。おばあちゃまは帰る前に「鏡子の時は助けられんかったけど、きいちゃんまで失うのは耐えられへん。絶対見つけたい」と言っていた。
ただ、きーちゃんが離れた所でもいいから無事にいて欲しい。それだけだった。
それでも何の進展も連絡がないまま、3か月が過ぎて日常の生活に戻っていった。「婆さんから連絡あったわ」出かけていた旦那が帰宅早々言った。「見つかった?」「見つかったっていうか、生きてはいるっぽい」ホッとしても良いんだろうか。
きーちゃんは普通なら一番に考えるけど、きーちゃんでは一番考えられない場所、自分の実家に居たらしい。「キリコ、一回婆さんに会いに行かへんか?」旦那の提案に頷く。子供達を迎えに行き、その足で関西へ向かった。道中、旦那がオーナーへ連絡を入れてくれておばあちゃまと会う間子供達を見て貰えることになった。到着しても夜になるからとおばあちゃまには明日時間を取ってもらうよう約束を取り付けた。オーナー夫妻も詳しくは話していなかったけれど、急に私たちが関西へ向かったこと、明日おばあちゃまに会おうとしていることで察してくれたのだろう。私たちの顔を見ると落ち着くまで何泊でもしていいから、落ち着きなさいと言ってくれた。
翌日、おばあちゃまのお家に向かう。車を止めると、お弟子さんが迎えてくれた。案内された部屋に入るとおばあちゃまは並んだ写真立てを黙って見つめていて、ソファーには先生がいた。「遠くから来てもらってごめんなさいね」と私たちを見るとおばあちゃまは静かに言った。おばあちゃまが見つめていた写真立ての写真は、白黒の古い写真ときーちゃんと真ちゃんの結婚式の写真、そしておじいちゃまおばあちゃまと真ちゃんのパパ、真ちゃんときーちゃんが揃って写っている写真だった。その写真はとても穏やかで幸せそうな表情のきーちゃんと真ちゃんが居た。「これがね、妹の鏡子。きいちゃんがせっかくやから家族の写真と並べようって」モダンな洋装のおばあちゃまの隣に座る和装の女の子は、昔聞いた通りきーちゃんとよく似た雰囲氣があった。
きーちゃんを見つけた経緯を聞いた。たまたま先生の知り合いのお医者さまから先生に意見を求められた患者さんがきーちゃんだった。きーちゃんは体調を崩して入院していた。どうも様子がおかしいと思った主治医の先生が知り合いである先生に所見を伝えて相談したそう。その患者さんは一見普通に見えるけれど自分の過去について色々と辻褄が合わない所が見られたり、とても精神的に不安定だった。先生はきーちゃんを診だしてから精神的なことや記憶についてを詳しく学んでいたから一度会って診察して欲しいと頼まれたそう。聞いた患者さんの名前がきーちゃんでは無かったから、その患者さんに会いに行った先生はとても驚いたと言った。「自分の患者を間違えることはない」と先生が言った。きーちゃんと話をしていると、居なくなった時に先生が言っていた今までの記憶が消えて全くの別人として生きていると確信したそう。「名前が違うってどういうことですか?」と旦那が言った。実家に帰っていたら名前が違うわけは無いよね。たしかにおかしい。
先生はおばあちゃまを見る。おばあちゃまはゆっくりと頷くと話を始めた。「きぃちゃんって名前はね、真弥が付けたん」「はぁーーー??」おばあちゃまと先生の前だと分かっているけど、旦那と2人で思わず間抜けな声を出してしまった。色んなことが衝撃過ぎてパニックだ。理解が追いつかないかもしれない。ひとまずお茶を飲んで落ち着こう。
「きぃちゃんの本当の名前はその患者さんの名前なん」待って、待って。初めて会った時きーちゃんは「キリエ」だと言った。だからきーちゃんと呼んだし、真ちゃんもそんなことは一言も言っていなかった。お茶を飲んで落ち着こうとしたけど、落ち着けるわけは無かった。おばあちゃまは「隠し事をした形になってしまってごめんなさい」と言う。そして、ゆっくりと話をしてくれた。
おばあちゃまがきーちゃんの名前のことについて真ちゃんときーちゃんから聞いたのは、2人が結婚を決めた時だったそう。おばあちゃまは挙式と共に入籍も…と思っていたのにそれを頑なに2人は拒否した。何故入籍は後にするのかと尋ねた時だった。
真ちゃんときーちゃんが最初に出会った頃。家にも学校にも居場所が無かったきーちゃんは、真ちゃんと出会って一緒に過ごすようになった。最初に真ちゃんが名前を聞くときーちゃんは黙ってしまったそう。詳しく聞くときーちゃんは「私は居ない子だ」と答えた。「この名前はあるけど、この名前で呼ばれると苦しい。居ない子の名前だから」とも言った。頑なに名前を呼ばれることを嫌がる子にその名前で呼ぶのはかわいそうだと思った真ちゃん。色々と話を聞くうちに、普段とても虐げられていて学校でも虐められていることが分かった。けど、名前を呼べないと不便だからと真ちゃんと過ごす間は『神に加護を呼び掛ける言葉』である『キリエ』と呼んで良いかと尋ねると、きーちゃんは喜んだと言う。初めはこの子に神の加護があるようにと思いついた名前だけど、「切絵のように繊細やし美しいから俺ネーミングセンスあるやろ」と真ちゃんがその時ドヤ顔で言っていたとも笑いながらおばあちゃまが教えてくれた。うん、そのドヤ顔が想像付くのが悔しい。
私と初めて会った日。私は『キリエちゃん』と紹介した。直前でぼぼちゃんの夢を見たからすぐに分かったと前に真ちゃんが話してくれたけど、それだけでは無く名前で目の前に居る子は、前に会った子だと確信したそう。それから何度か2人で過ごす間に名前のことを聞いた真ちゃん。きーちゃん自身、「キリエ」が自分の本当の名前だと思っているし、学校なんかで戸籍の名前で呼ばれたり書こうとすると、やっぱりとても苦しいと言う。けれど、いつか名前が違うことを私達に話さなきゃいけない、嘘を言い続けるのも苦しいと悩んでいたきーちゃんに真ちゃんはきーちゃんの名前は『キリエ』だ。それ以外の名前では無い。だから、真ちゃんときーちゃん以外にわざわざ戸籍の名前を名乗って知らせる必要はない。と言ったそうだ。
きーちゃんが進学を控えて、私たちがどうにかしてでもきーちゃんを高校に入れようと計画をしている時、名前のことが私たちに知られてしまうことを懸念したことも、きーちゃんを真ちゃんが面倒見る、学費に関してもどうにかしようと決めたひとつだったそう。
きーちゃんの名前を戸籍から変えてしまおうと高校に入った頃から真ちゃんは考えていて、お家で頼んでいる弁護士さんに相談をしていた。戸籍の名前を変えるということは簡単なことではなく、きーちゃんの場合だと『キリエ』として過ごして社会的にも『キリエ』として生きていて周囲に浸透しているだけの時間という実績が必要だと言われたそう。その期間は7年もあればおそらく改名の許可がおりるとの予想だった。だから、真ちゃんは7年間きーちゃんを『キリエ』であると、本当のことは誰にも言わずに居るつもりで、きーちゃんにも学校で使う名前は単なる番号だから苦しくならなくても良いと言い続けていたそう。その7年が経つ時に入籍と共に改名をして完全にきーちゃんを『キリエ』として生きて行けるように考えていたそう。私たちにも言わなかったのは、きーちゃんが本当に『キリエ』と言う名前の子であると疑いをもって欲しくなかった。戸籍の名前を持つ『本当は居ない子』だときーちゃんに思って欲しくなかったから。きーちゃんに学校以外で戸籍の名前を使わなくてもいいし、誰にもわざわざ戸籍の名前を言わないよう固く口止めしていたのは真ちゃんだった。
「けど、きーちゃんバイトしてましたやん」と旦那が言った。確かにそうだわ。おばあちゃまも同じように疑問を持ったらしい。高校生の時もそうだし、卒業してからは就職だってしていた。幸いなことにほとんど苗字で呼ばれる方が多く、就職した先には「もうすぐ入籍をするので名前は新しい名前で呼んでください」と頼んでいたそう。高校生の頃のバイトも始めてすぐに真ちゃんが迎えに行った時にもう結婚を考えているから名前は旧姓ではなく真ちゃんの家の名前で呼んでもらえないかと頼んだら、深く追及されることなくすんなりとOKを貰えたらしい。おばあちゃまの話をまとめるとこんな感じだった。
その話を聞いて、おばあちゃまは事実婚という形でしばらく過ごすことに納得したらしい。結果、今の今まで私達に黙って隠すことになってしまったけれど、あの子達は悪意を持って騙したわけじゃない。でも本当に申し訳ないとおばあちゃまは言った。
確かに騙していた。と言われたらそうなのかもしれないけれど、今まで一緒に過ごしていてきーちゃんを取り巻く根深いと言えるほどの過去、それによって何年も何年も呪いとなって縛りつけられて苦しむ姿を思い出すと不思議と責める感情は湧いてこなかった。自分では当たり前であると信じて疑わず自然と使っている名前ですら、呪いとなってしまう恐怖。私たちには真実を話しておいて欲しかったという氣持ちはあるけれど、むしろ、そこまでしてきーちゃんを守ろうとした真ちゃんの覚悟に感心するしかなかった。きーちゃんの名前が本当は違うのかもしれないけど、あの子は『キリエ』で私の妹なんだ。
旦那を見ると、旦那は少し険しい顔をして黙っていた。旦那はこれをどう捉えているんだろう。私と同じように捉えたのか、反対に騙されたと怒っているのか。それを確かめるには私も混乱が残っていて、確かめることが出来なかった。
「今、きーちゃんに会いに行けるんですか?入院するほど体調が悪いって?」と旦那が言う。「ここまでしてもらっておきながら、不義理やし恩を仇で返されたと怒られても仕方ないと思います。けど、今はきーちゃんをそっとしてあげて貰えないですか?」とおばあちゃまが静かに言った。「そんなにきーちゃんの具合が悪いんですか?」「悪いと言えば悪いかもしれん。今、2人が会いに行ったとしたら、確実にお嬢は混乱するやろう。それに2人にとっても良いことだとは思えん」旦那の言葉に先生が言った。そんなにきーちゃんの具合は悪いんだろうか。
「キリコさん、本当にごめんなさい」旦那が先生を誘って外に一服しに出るとおばあちゃまが言った。「確かに名前のことは驚いたけど、おばあちゃまは謝らないで。何も悪くないです」まだ混乱しているし、あれからも何度もきーちゃんに会いたいと言ったけれど、頑なに先生とおばあちゃま2人にきーちゃんと会うことを止められて腑に落ちない。けれど、これは本当にそう思っている。「今のきいちゃんは、きぃちゃんやけどきぃちゃんじゃない」先生からこういうことがあると聞いていたけど、それもまだ納得出来ていない。「けど、必要ならまたきぃちゃんは帰ってくると信じてるんです。だから今はきぃちゃんが生きてくれているだけでいい…。いつか真弥のことも、私らのことも思い出すようになったら嬉しいけど…」きーちゃんが辛いなら、思い出さなくても良いと言った。私はこの混乱をどう着地させれば良いか悩みつつも、おばあちゃまの言うことも何となく分かる氣がした。「ホンマ、何でこんな早くに逝ったんやろ、どこまで阿保なんかな、真弥は」と呟くおばあちゃまに何て声を掛ければいいか、きーちゃんに会わせて貰えないという理不尽さを責めることは出来なかった。
「参ったな、平穏な日ってあるんすかね」帰りの車内で旦那が呟いた。あれからも、おばあちゃまはきーちゃんをそっとしてあげて欲しいと何度も言った。孫ほど若い私たちに何度も頭を下げて懇願していた。その姿を見て、とてもではないけれど問い詰めることは出来なかった。「美樹はあの話聞いてどう思った?」「あの話?」「きーちゃんの名前」「ああ、あれな」最初はどういう事だと、何で話してくれなかったんだ、自分はそんなに頼りにならなかったのかと複雑だった。けど、今の今まできーちゃんは『キリエ』であると信じて疑っていなかった。きーちゃんはきーちゃんだとしか思えない。名前なんて重要じゃないと少しして冷静になるとそう思うようになった。「ただ、真弥も水くさいわなぁ。一言言ってくれたらこんなに驚かなくて済んだのに」と笑う。「けどな、よく考えたら辻褄が合ってん」生命保険の手続きの時。それまで色んな手続きや片付けの間、旦那はきーちゃんに付いていたのに、手続きの時だけおばあちゃまはきーちゃんと2人でさせてくれと言ったそう。おじいちゃまも多分理由を知っていたんだろう、旦那と真ちゃんパパ、先生を連れて席を外したそうだ。おばあちゃまとおじいちゃまは真ちゃんの遺志を、望みをきちんと汲み取ったんだろう。
けれどやっぱりどこか煮え切らないまま、ひとまずは無事だったなら良いと自分に言い聞かせてまた時間は過ぎて行った。人間っていくら大事だとか言っても薄情だと自分でも思う。日常の慌ただしさで、きーちゃんのことや真ちゃんのことおばあちゃま達のことを思い出すのが減って行って、時々マハルが「まだきーちゃんに会えないの?」と休みごとに言うと思い出すというのを繰り返した。
真ちゃんが亡くなって1年が過ぎた頃、旦那にお弟子さんからおばあちゃまの訃報が届いた。おばあちゃまは、辛いことを無理に思い出すことも、生きづらい力を使うこともない。生き続けてくれたらそれでいいと言い続けていたそうだ。これで完全にきーちゃんの手がかりが無くなってしまった。
きーちゃんはシードラゴンの元に、きっとそこには真ちゃんも居て、誰にも傷つけられることのなくきーちゃんを守ってくれる優しい場所に帰ったんだ。そこで2人は誰にも邪魔されることなく、長い長い約束を果たしているんだ。せめて、その世界では2人は穏やかに笑っていて欲しい。